福井県全域。 特に三国港・敦賀・小浜の漁港、 越前町の冬の市場、 永平寺の山道の冬の朝、 そして冬の家族の食卓。
体は越前ガニの 1 脚の形。 長さは大人の腕と同じくらい、 殻は艶のある赤褐色。 関節は 3 つあり、 動く時は 3 つの関節をしなやかに曲げて、 漁港のロープの上を渡るように進む。 先端の爪は持っていなくて、 そこから時々小さな水滴が 1 滴落ちる。
時刻は冬の朝の 4 時 33 分から 5 時 51 分の間、 そして家族の夕食の 19 時 17 分から 20 時 22 分の間。 場所は三国港の漁船の艫の影、 越前町の市場の朝のかご、 永平寺の参道の石灯籠の脇、 そして 「冬は寒すぎて来づらい」 と思った人の家の玄関の靴の周り。
福井で越前ガニを食べる時、 1 脚の関節を 3 つとも丁寧にほぐす。 急がず、 1 つの関節に 5 秒ずつかける。 その間に 「ありがとう、 冬の海から来たんだね」 と心で 1 言つぶやくと、 越前ガニの一脚はあなたの食卓の隅に静かに現れて、 ほぐしている脚と向きを合わせて静止する。
食べ終わった後、 殻を皿に並べると、 一脚は殻の影から薄い水滴を 1 滴だけあなたのお茶の中に落とす。 そのお茶を最後にひと口飲むと、 翌朝、 手のひらが凍えにくくなっている。
越前ガニの一脚は、 福井の冬の海で命を落とした漁師たちと、 港で帰りを待った家族たちの、 「無事に帰ってきてほしい」 という長い祈りが、 越前ガニの 1 脚の殻の中に集まってできた。
一脚は、 自分が 1 本だけであることを誇っている。 「カニは 8 本の脚と 2 本の鋏を持っているけれど、 私はその中の 1 本。 1 本でも、 海の冬を覚えている」 と一脚は知っている。 だから、 越前ガニの食卓に出会う人に、 福井の冬の海の温度を、 殻の関節の動きで伝えようとする。
春が来て海が穏やかになると、 一脚は三国港の沖の岩の影で静かに眠り、 翌冬の最初の越前ガニの水揚げの朝にまた現れる。